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ブータンの手織物の中でも、とりわけその繊細な縫い取り織りの美しさで知られるキラ、キシュタラ。白地に色とりどりの模様糸を施したキシュタラは、古くから晴れ着としてブータン女性を美しく飾ってきました。 これらキシュタラや青地のオショム等の高級キラは、ブータン北東部、チベットとの交易路にあたる、クルテ地方(現在のルンツィー県)がその発祥の地とされ、現在でも多くの女性が農作業のかたわら織りにたずさわる、中心的な産地となっています。ホームギャラリーダルシンでは、99年10月に、交通の不便なクルテを訪れ、多くの織り手のかたにお話を伺いました。これは、なかでもキシュタラの産地として有名な、コマ村を歩いて訪問したときの記録です。 |
◆ブータン随一の織りの村へ 10月ももう末だと言うのに、陽はぽかぽかと暖かく、村へとつづく細い山道に降り注いでいます。県庁所在地のルンツィーからは、国境の雪山も間近に見えるというのに、標高が低いため、川べりにはバナナの葉がゆれています。川沿いに細長く開けた畑では、ちょうど粟の収穫の真っ最中。人々が忙しそうに、茶色く実った粟の穂先を、半月型の小さな鎌でつみとっています。人ひとりがやっと通れるほどの山道の両側にはレモングラスがはえ、あたりに芳香をただよわせています。 村に入ってまず出会ったおじさんに、来訪の目的を告げますと、すぐに二階建ての農家へと案内されました。ブータンの農家はたいてい一階が倉庫か家畜小屋になっており、家の外側に付けられた階段をあがった二階が居室になっています。ここコマ村もその例外ではないのですが、急な木の階段をきしきしとあがると、入り口前には小さなテラスがしつらえられ、糸がかけられた状態の地機(じばた)、「パンタ」が2台、据え付けられていました。 どうぞ奥へ、と促され、家の中におじゃまします。真っ黒にすすけた台所を通って、奥の仏間に案内されました。ブータンの農家では、仏間が家の中で一番良い部屋で、ここにお客を通してもてなすのが普通です。こちらのお宅では、壁一面が立派な仏壇になっており、金や赤ではなやかな花模様や吉祥文が描かれていました。開け放たれた窓(木戸のみで、ガラスは入っていません)から、涼しい風が通り抜けていきます。 ブータン東部の農村は、日当たりの良い山の斜面に家がぽつんぽつんと点在し、それぞれの家の周りに田畑が広がっているという形式が多く、コマ村のように20数軒の農家が軒を接してひとつの集落を形作っている村は、珍しい部類に入ります。村の中心には共同の水場があり、おばさんたちが水を汲みながら世間話に花を咲かせていました。主な農産物はとうもろこしとあわで、女性が織るキラは村の家々にとって貴重な現金収入となっています。そのためでしょうか、農繁期のまっただ中にもかかわらず、ほとんどの家で機織りをしているのを見ることができました。どの家も、たいてい入り口横の風通しのよいテラスやベランダに2〜3台のパンタを据え、白地のキシュタラや青地のオショムを織っています。ブータン西部ではまず見られない光景で、東南アジアとのつながりを深く感じさせます。 ◆伝統と新しさと ニドップさんに連れていっていただいた一軒の農家で、総絹の、思わず息を飲む美しいキラを織っている女性に出会いました。10〜15cmくらいの長さに切った模様糸を、腰当てでぴんと張った経糸に通し、先端がとがった竹のへら(ツァンまたはツァンドゥーと呼びます)で、目にもとまらぬほどのスピードで縫い取りを施していきます。一段分の模様糸をいれてから、細い竹筒をシャトルにして(プンドゥンと呼びます)緯糸を通し、ターマと呼ぶ刀杵で打ち込みます。これは「片面縫取り織り」と呼ばれる技法で、こうして出来上がった布は、刺繍と見まごうばかりの精緻な文様で埋め尽くされます。その女性、チミさんによると、整経に1日、デザインにも寄りますが、その時織っているようなデザイン(右下の写真)なら1ピース織るのに17〜18日、キラは1着に3ピース必要ですので合計約ひと月半で織り上げるといいます。これは驚異的なスピードです。複雑なパターンや配色もすべて頭に入っており、パターン見本などを見ることもなく、指先から美しい文様がつぎつぎと生み出されていく様子を、私は息を飲んで見守っていました。「コマ村がブータンで最高のキシュタラの産地なのです」ニドップさんは誇らしげに、語ってくれました。 クルテでは、女性のほぼすべてが織りをする、といっても過言ではありません。女の子はたいてい8歳か10歳くらいで、母親から織りを習い始めるといいます。また、ブータンの女性は、ただ母から娘へと受け継がれる伝統的なデザインを踏襲しているだけではありません。伝統的な技法を組み合わせて、新しいデザインを積極的に作り出すことを誇りとしています。 クルテで織られているキシュタラの、ほとんどすべてが現在はインドから輸入されたピュアシルクを使っています(地にコットンを使うことも多くあります)。糸を売りに来る商人がいるほか、わざわざ何日もかけてプンツォリンまで出かけて行って買うこともあるそうです。昔は「ブラ」と呼ばれる野生絹を使い、天然染料で染めることもあったといいますが、薄地で華やかな色彩の好まれるキシュタラには、化学染料の鮮やかな色あいが適しているのでしょう。ここで織られた高級なキラのほとんどが、バイヤーの手によってティンプー等都会に運ばれ、お祭りなどの晴の日に、ブータンの女性たちを美しく飾るのです。 ◆心あたたかい村のひとびと ちょうどお昼どき、昼食を食べていけ、と強く勧められました。お皿に山盛りのごはんの上に、瓜とエマ(とうがらし)を煮たおかずと、シャーカム(干し肉)も付いた大変なご馳走です。ブータンでは、まずお客に食事を食べさせた後家族が食べるのが習慣だそうなのですが、ご家族の見守る前で私達だけ御飯をいただくのは、日本人にとってなんとなく居心地が悪いものです。食べ終わると、作りたてのアラ(とうもろこしや粟などから作ったブータンの焼酎です)があるので是非飲め、ということになりました。東ブータンでは、どの家でもたいていアラを作り、お客にふるまうのを喜びとしています。自家製なので味もアルコール度数も様々なのですが、コマのアラはあっさりとした味わいでそれほど強くなく、お酒に弱い私でも美味しくいただくことができました。ただしお茶わんになみなみと注がれたアラは、まず2回目のお酌までは飲み干さねばならない(3杯飲めばなおよい)のだそうで、それをなんとか飲み干したあとも、「シェ、シェ、シェ(お飲みください、お飲みください)」と勧める奥様と、「ミシュ、ミシュ、ミシュ(結構です、結構です)」と断わる客との攻防戦となります。 暗くならないうちに車道まで帰らなければならない私達は、「今夜泊まっていけ」と勧める村の人々に、後ろ髪をひかれる思いで村を後にすることにしました。礼を言って帰ろうとする私達のあとを、茶碗を持った奥様とご家族が追いかけてきます。マニチュコル前の草地で、奥様はキラのふところからおもむろにアラを入れたびんをとりだしました。何だろうと思ったら、村を去る客人には、村の入り口でアラを飲ませて見送るのが習慣なのだそうです。透明なアラがなみなみと注がれた茶碗が、再び私達に勧められます。この場合は何が何でも一杯は飲み干さないと「縁起が悪い」のだそうで、しかも例の二杯めも受けなければなりません。人々もふところから茶碗をとりだし、草の上で即席の酒盛りが始まりました。私はお家で飲まされたアラですでにかなり酔っぱらっていたのですが、なんとか必死で一杯は飲み干し、ふらつく足どりで礼を言って村の外へ出る橋を渡りました。 急な訪問にもかかわらず、温かく招き入れてくださったニドップさんご一家。私の細かい質問に、仕事の手を休めてひとつひとつ答えてくださった織り子のかたがた。アラ作りの様子を、にこにこと見せてくれたおばあさん。たった一日の訪問だったにかかわらず、コマが忘れられない村となりました。去っていく私達に、村の人々がいつまでも、いつまでも大きく手を振っていてくれます。こちらも手を振りつづけながら、心の中でまた、この村のあたたかい人々に会いに来ることを誓っていました。 (了) |
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